
挑戦に踏み出せない
社長の名は 編集部より
そう思ったことはありませんか?「失敗が怖い」「人と違うのが不安だ」そんな気持ちは、きっと誰もが感じたことがあると思います。今回紹介するのは、そんな“違い”を個性として武器に変え、挑戦する人に火を灯し続ける起業家の物語です。
株式会社Piece to Peace 代表取締役社長、大澤 亮さん。子どもの頃から「変わっている」と言われ、大人になっても「日本では浮いている」と感じ続けてきた彼が、アメリカで“個性は武器”だと教わり、そして日本でも「挑戦が報われる仕組み」を作ろうと決めました。
「変わり者は褒め言葉」そう笑って言えるようになるまで、彼が挑んできたすべての軌跡を、お届けします。
大澤 亮のストーリー
挑戦できる社会を目指して
「個性は武器だ」そう信じて挑戦し続けた彼も、ある日、崩れ落ちた。仲間の裏切り、債務超過、預金ゼロ。最後は、帯状疱疹で倒れた。
それでも、彼は諦めなかった。挑戦する人が報われる社会をつくるために。1万6000人のプロ人材と2500社をつなぐ仕組みを生み出した男の、挑戦と執念のストーリーをご紹介。

「話、ちゃんと聞いてる?」
コンビニに入新卒1年目の春。上司にそう怒られるたびに、私は思っていました。「またか」「俺ってやっぱり変なのかな?」と。った時のことです。店員さんから「汚い、近寄るな」っていう目で見られました。そのことを会社に戻って同僚に話したら、「俺もだよ」って。ああ、やっぱりそうなんだなと。「俺たち、底辺職なのかな」って思いました。

子どもの頃から“変”だと決めつけられてきた
私は3歳から5歳まで、アメリカで暮らしていました。英語と日本語が混ざってしまって、言葉がうまく出なかったんです。その私に、父はこう言いました。「お前はダメな子だ」と。それ以来、自信なんて持てませんでした。

「やめとけ」と言った父、<br />「俺は応援する」と言った友人
でも、大学生の時に「アメリカに留学したい」と父に話したら、やっぱり「やめとけ」と言われました。そんな中、たった一人、友人が「俺は応援するよ」と言ってくれたんです。

死に物狂いでバイトして、<br>親に頼らず渡米
その言葉に勇気をもらって、私は死に物狂いでバイトをしてお金を貯めました。親には頼らず、自分の力でアメリカに渡りました。出発前、友人が手紙をくれたんです。「寂しいけど、お前なら絶対やり切れる」そう書いてありました。これが、すべてのはじまりでした。

「個性は武器だ」「挑戦しろ」それが当たり前だった
アメリカは違いました。「個性は武器だ」「挑戦しろ、失敗してもいい」それが当たり前の世界でした。でも、日本に戻ったら、「商社マンは日経新聞を読め」と言われ、窮屈に感じたんです。

大手商社を3年で退職、<br />「ITで起業する」と宣言
私は、大手総合商社を3年で辞めました。 1999年、「ITで起業する」と言った時は、みんなに笑われました。「頭おかしい」「ここは日本だ。個性をはき違えるな」と。でも、あの友人だけは違いました。「お前は人と違う。だから、起業に向いてると思う」と言ってくれたんです。

5度創業、2度売却、2度のサラリーマンを経験
その言葉に突き動かされて、私は挑戦を続けました。5回の起業、2回の売却、そしてサラリーマンを2回経験しました。大手もベンチャーも、アメリカも日本も知った上で、ハッと気づいたんです。「挑戦する人が、報われる仕組みが、日本には足りない」と。

「リスクを恐れず、安心して挑戦できる社会をつくる」
2016年、私は決断しました。「リスクを恐れず、安心して挑戦できる社会をつくろう」と。“ビジネス界にもプロ契約を”そんな想いで、個人と企業がプロ契約を結ぶエージェントサービス「キャリーミー」を立ち上げました。

仲間の裏切り、債務超過、預金ゼロ…それでも
でも、道は平坦ではありませんでした。仲間の裏切り。債務超過。預金はゼロ。最後は、帯状疱疹で倒れました。それでも、諦めませんでした。

そんな時、手を差し伸べてくれたのは本田圭佑さん
ある時、出会ったのが本田圭佑さんでした。出会って50分で、出資とアンバサダー就任を即決してくれました。そこから、事業は急拡大しました。

今、「キャリーミー」は<br>1万6000人、2500社に拡大
今、「キャリーミー」には1万6000人のプロ人材が登録しています。2500社の経営課題を解決しています。「挑戦する人が報われる社会」が、少しずつ実現してきたと感じています。

「変わり者は褒め言葉」
「変わり者は褒め言葉」今では、そう思っています。違いは個性。個性を武器に、挑戦してほしい。応援してくれる人は、必ずいます。



